社説 「あるべき姿」描くのは マイクリップに追加
10年目の現在地
東日本大震災から10年の歳月が経つ。激しい揺れが続いた後、太平洋沿岸地域に広がる街並みは巨大な津波によって一瞬のうちにのみこまれた。続く福島第一原子力発電所事故の報は世界を震撼させた。放射性物質が拡散する様子は、廃墟化した街が今なお残るチェルノブイリ原発事故の記憶を呼び起こし、胸が締め付けられる思いをしたことが記憶に新しい。
2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの三陸沖の海底に蓄積しされていたエネルギーは、大規模な地震、想定外の巨大な津波を引き起こした。
あれから10年、被災地では下水道や道路、街並みの復旧が進む一方で区画整理されたエリアに建つ復興住宅は当初の見込みを下回り、大型商業施設でも買い物客の姿は今でもまばらだ。福島県に至っては未だ帰還することが叶わない地域が残る。
巨額の投資でインフラは復興していても、その先にあるはずの人々の平穏は取り戻せていない。
東日本大震災では、13都県126カ所に及ぶ下水処理場が被災し、うち49カ所が稼働停止に追い込まれた。管路施設については、東北から関東にかけて広範囲で液状化が発生し、1012kmで被害が確認されている。
特に、太平洋沿岸部の処理場・ポンプ場は巨大な津波によってほとんどが水没し、処理機能の停止に追い込まれ、復旧に長期間を要した。
一方で水道の断水解除による都市活動の回復に伴い、市街地から汚水が溢れるなどの事態も生じ、消毒処理のみで海域に放流するという状況に追い込まれた。この壊滅的な状況からこれまでの10年間で管路施設の約96%で復旧が完了し、下水処理は帰還困難区域内を除く全ての処理場で通常レベルの処理機能を回復している。改めて技術力の高さと下水道事業に携わる人々の熱意を見て取れる。
仙台市は、経験豊かな人材と蓄積した技術力を駆使して壊滅状態にあった南蒲生浄化センターを省エネ型で未来志向の下水処理場に生まれ変わらせた。大船渡市では人口減少に伴う処理量の減少にも機動的に対応するため、官民連携による施設改良と維持管理の包括的運営を実施するなど、好事例と呼ぶべき復興を成し遂げた被災地もある。
突き付けられた課題
一方で、全ての被災地が順調に復旧・復興を果たしているわけではない。インフラ整備が現実の人口以上の過剰施設になってはいないだろうか。
すでに10年前、わが国では人口減少局面に突入しており、その影響が現在では顕著になりつつある。本来はこの流れはゆっくりと進むものであるのだが、東日本大震災がその様相を急激に加速させた。津波被害を受けた東北3県沿岸部においては、過疎化のスピードが、10年早く前倒しされているように思う。全国レベルでいずれ起こりうる課題が、一気に被災地で噴出しているのだ。これは被災地だけの問題ではなく、他都市においても、10年後、20年後には避けて通ることのできない問題となる。
過剰施設となっていれば維持管理費用がかさみ、想定外の財政支出に陥る可能性がある。現状で人口規模以上の施設を有しているのであれば、今のうちに負担を縮小させる工夫を凝らして備えるべきである。
長期的には、地域ごとにオーダーメイドの再生を創造していくことが地域の発展につながる。自治体と地域住民が主体的に話し合い、水輸送システムや処理レベルなどそれぞれの最適解を自らの手で導き、将来も持続可能な下水道インフラを築くのが定石といえる。国はこうした前向きに取り組む地方を後押してほしい。投資を必要とする防災・減災を進める一方で、地域の持続に向け、人口減少と少子高齢化が同時に進む現実を踏まえ、将来の経営像を客観的な視点で描かねばならない。過疎化が進み執行体制のままならない自治体には国がサポートするなど、グランドデザインを描く手助けも必要だ。
震災復興を起点にした被災地の経験を、今後の日本全体の指標になるようにしなければならない。人口減少下における地域の持続には、立地の適正化や多様な主体と連携した新しいかたちのまちづくりが必要である。今後、日本そして国境を越えて世界の都市をどのように持続可能にしていくのかという「あるべき姿」が、被災地の復興と重なるように思える。
叡智の結集こそ持続
今後、30年間で南海トラフ地震は70~80%、首都直下地震は70%の確率で発生すると予測されている。いつその牙が襲いかかるか分からない。だからこそこの10年間の教訓は置き去りにしてはならない。被災地の力強い復興こそが、これからの下水道の行く末を握っているといっても過言ではない。今こそ下水道界の叡智を被災地に結集すべきで、復興はこれからが正念場である。
先月13日23時08分福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の大型地震が発生した。気象庁は、この地震を東日本大震災の余震であるとの見解を示した。この余震はこの先10年は続くことを肝に銘じるべきだ。10年前の本震と巨大な津波を経験した市民は今なお心休まるはずもなく、不安と隣合わせの生活が続いている現実を私たちは忘れてはなるまい。時の流れとともに見えてきた風化の兆しに対し、「収束していない!」と未だに続く余震は警鐘を鳴らしているように聞こえる。
震災の記憶を語り続け、被災地の今と未来をつなげる役割を、水インフラの専門報道機関としてこれからも担い、警鐘を鳴らし続けなければならない。時の経過に加え、新型コロナウイルス感染症による恐怖と不安な日常を強いられている中にあっても、未曽有の大災害の記憶を決して忘れてはならない。2021年はこれまでの歩みを検証し、真の復興へのあり方、地域の持続を考える新たな一歩を踏み出す一里塚とすべきだ。
被災地の心の叫びに寄り添って、節目の3月11日がやってくる。哀悼の意を捧げ、無念の思いでお亡くなりになった方々のご冥福を心より祈ります。